濵ちゃんの足跡

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1.プロローグ

私が、携帯電話事業に参画したのは、93年のことである。当時、携帯電話はアナログの初号機の失敗とディジタル初号機の失敗で、散々たる状況であった。確か、月産3千台程度であったと思う。これが月産100万台以上にもなろうとしたのだから、事業というものは不思議というか魔物である。

私が参画する前の話。携帯電話の前身は自動車電話である。その自動車電話は、北欧から始まった。なぜ北欧からかというのは聞いてみれば自然なことである。北欧は雪が深い。温度も極端に低く、摂氏マイナス数10度というのも珍しくない。ここで自動車が「ガス欠」したらどうなるか、なにか事故が起こったらどうなるか。凍死してしまう。生命そのものが危険にさらされる。これを少しでも防止しようと車に電話を付けた。これが始まりである。D社の携帯電話はその北欧でスタートした。NMTである。この当時の技術者は非常に頑張って、基地局も移動機もすべて受注して半分以上のNMT市場を占有した。この技術は北米で活かされた。北米でのアナログ携帯電話が事業に乗った。

そんな中で、D社の自動車電話は当時の電社、今のNT社への参入が悲願であった。スタートは車載機、そしてショルダーホン、ハンディーホンと移っていった。ここまではNT社が仕様を決めて、参入メーカーはすべて同じものを作った。デザインも同じ。電気的仕様も同じ。当然、競争は品質になる。D社の「もの作り」の厳しさは、さすがに防衛機器、衛星通信機器が下地になっている。これは強みであった。徹底的な品質管理、民生機器しか作っていないメーカーより、はるかに高い品質を確保できた。後発の参入でありながら35%以上の納入率を誇っていたのは、そんな理由からであった。

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