濵ちゃんの足跡

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2.最初のつまずき

これも、まだ、私が参画する前の話。そこに来て、デザインの自由化が始まった。これがアナログの第1号機である。D社は徹底的な小型化と薄型化にこだわった。電池もデバイスも徹底的に小型化した。色もグレーとホワイト。徹底的な時代の先取りであった。ところが、これが裏目にでた。なぜか。ひとつは小型化するためのデバイス技術がついてこなかった。当時のLSI化できる技術範囲を超える小型化を狙ったため、これをモジュール化した。BBモジュールとか、メモリーモジュールとか。IFモジュールもあったかもしれない。これを某メーカーにアッセンブリーさせた。ところがまったく歩留まりが上がらない。もともとLSIがぎりぎりの性能しかでていない。これを無理矢理モジュール化するから更に電気的特性は悪くなる。アッセンブリー技術も悪かった。試験方法も確立されていない。完全なる技術見通しの誤りと蓄積の不足であった。

そこに薄型化作戦の失敗がさらに追い打ちをかけた。確かに、全製品の中でもっとも薄い。ワイシャツのポケットに入る。当時としては画期的であった。ところが正面視がでかい。これがカタログ写りを悪くした。どう見ても大きく見える。まだ今ほど店頭販売している時代ではない。正面視が大きいと製品自体も大きく見える。その点、P社は賢かった。正面視を小さくして厚みを大きくした。カタログ写りは非常に小さくみえる。これで、圧倒的に差がついた。

このことは大型コンピュータ時代にI社やF社が盛んにやった戦略であった。正面視を小さくみせる。奥行きの方がずっと大きい。温故知新、学ぶべき点を見落としていた。さらにさらに悪かったのがホワイト。今でこそ主流であるが、当時はまったく売れなかった。なぜか。2つある。当時の電話はほとんど黒。あるいはそれを基調としたグレー。白はあまりにも飛躍しすぎていて奇抜にしか見えなかった。もう1つは、ターゲットとしていた女性。当時の化粧製品技術では化粧落ちが激しく、白はあまりにもそれが目立った。時代時代の流れ、タイミングを見誤っていた。

それともうひとつ嫌な思い出がある。調子に乗りすぎた。製品が出る前から前宣伝を煽り始めた。究極は漫画。開発ストーリーが漫画になって流れた。開発の途上で、である。結果的には、全部、極秘の筈の開発仕様がオープンになってしまった。競争会社に全部手の内をさらけ出しては勝てるはずはない。

加えて、この売れる、売れる筈というイケイケの雰囲気の中で、はじめての仕込み生産。どんどん材料を買ってしまったものだから、売れないことが分かってからの販売と材料の処分はもう地獄。間接部門から販売応援部隊を出してもらっての個別売り込みもやったが全然駄目。電池単体での販売までやらなければならなかった。

更に、一旦、問題があると分かったら、今度、トップは、その解決を研究所によかれと思ってどんどん依頼した。これが更に混乱に拍車をかけた。開発部隊は、それらの対応に汲々として、まったく解決のための時間が取れなくなってしまった。問題発生後の問題解決のための研究所の利用はまったく効果がない。それもその筈。研究所の役目は明日の技術を開発する部門だから。ましてや、研究と開発と量産の技術的な意味合いがまったく理解できていない。“できる筈"のレベルの研究技術を量産に持ち込んだら、そりゃあ、現場は益々混乱するに決まっている。

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