濵ちゃんの足跡

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10.PHS、開発くずれの挽回

そんな中で、PHSの開発がこけた。PHSは屋外、家庭内、事業所内に使えるという鳴り物入りで登場した。この時点では、ひょっとしたら携帯電話を追い抜くかもしれないと思えた。それだけすばらしい製品コンセプトであった。もし、家庭用と事業所用の電話がPHSに移ってしまうとなると6000万加入者が対象となるわけで、その子機ともなれば1億台を超えるマーケットがあることになる。もし、そうなったら、移動体通信の部品はPHSに引っ張られることになり、特に半導体の開発はどんどんPHSに依存するように思われた。携帯電話を主体とするも、PHSの開発が必然となった。結果は違ったが。

PHSの担当は専用の課を編成して開発していた。アナログ機の開発経験者がリーダーをしていたので、開発自身は問題ないと安心していたのが失敗だった。携帯電話は基地局との通信制御ソフトウェアはお客様から技術供与して貰っていた。逆に、PHSでは、開発経験のないこの通信制御ソフトウェアの開発が必要だった。これが転けた。

納期の4ヶ月前、お客様から技術者が応援に派遣されてきて、いよいよ最後の仕上げに入った。そんな中で、出荷すべき納期の3ヶ月前、月例の開発フォロー会議で、その通信制御ソフトウェアの開発進捗が大幅に遅れていることが分かった。急遽、なんとかしろとの命が私に下った。すぐに分析してみた。開発は関連会社が担当していたが、その担当者はもう限界に達していた。このままではどうにもならない。なんとかしなければならない。PHSの基地局の開発技術者に応援して貰うことを考えた。その基地局担当の責任者にお願いし、5人の技術者を派遣してもらった。私は、全面的な作り直しも覚悟した。が、診断して貰うと、基本設計はしっかりしているので、これをきちんと開発していけばよいとの話。これを忠実に実行した。つぎに評価試験体制をチェックしてみた。これがなんにも手配できていない。即日にシミュレータを必要数手配した。パソコンや場所、評価技術者も手配して環境を整えた。この一連の費用は7000万円。あまりにも期間がなく、すべて事後申請で処置せざるを得なかった。

当然、納期は遅れる。どうしようもない。客先におわびして3ヶ月延期してもらう。その延期した納期もあと1ヶ月。機能的にはそこそこには動くが、性能がでない。接続時間が遅い。理由が分からない。少なくともRCRの規格どおりには書けている。どうしてか。フィールドテストは続く。塚口方面でのフィールドテストから梅田に移した。全然動かない。塚口ではPHSは同時に数個の基地局の電波を受けている。ところが梅田まででると、それが想定以上の基地局の電波が受信できて、どの基地局を掴んでいいのか分からなくなってしまっていた。田舎者のPHSが大都会に出て目を回していた。実際のフィールドテストの必要性を痛感させられた。

いよいよあと数週間で立ち会いというとき。まだ、性能がでない。客先の開発責任者から電話が入った。19:00の新幹線に乗るから、関連技術者は全員待機せよとの指示。23:30到着されると同時に、どんどんレビューが始まった。どういう設計思想か。どういうアーキテクチャか。そのまま車を出して、その客先責任者が塚口周辺を走る。片方の手にはP社のPHS。もう一方には私たちのPHS。それを同時に耳にあてて、発着呼を繰り返す。後で分かったことだが、音の変化や時間の変化で、基地局を掴まえる時間やゾーン切り替えの時間を同時に比較していたとのこと。帰ってきたら、すぐ、技術者を集めて、通信制御ソフトウェアのアルゴリズムを直接議論。その中で分かったことは、RCRの規格どおりではない。このケースでは、この順に処理するのではなく、バイパス処理をこのように設けよとか、指示はたくさん。それを徹夜で改修して実験するとどんどん性能が上がる。歩行速度でやっとゾーン切り替えしていたPHSが、わずか4日間で、最後には時速70kmの自動車速度でも切れなくなった。4日間連続徹夜。私は、技術者とテスト技術者をローテーションさせながら、4日完徹でこれに対応した。だれも4日間帰宅できず、風呂にも入れなかった。

これで、なんとか使い物になった。とにかく、一旦、出荷すべきということで、立ち会いを受け、出荷したが、なんとなんと、その直後に操作系のソフトウェアのバグが見つかり、全面回収。5万台のPHSを回収して山積みになった。大失敗。ソフトウェアの再ダウンロード。

ところが、これはこれで良い経験になった。その後、数回ではあるが、同様のトラブルで携帯電話の回収を行う必要があったが、これが練習になって、なんにも問題にならず整斉と改修作業が進むようになった。なんでもマイナスになることはない。一応格好がついた。

これだけ苦労したのに、残念なことに、PHSが伸びない。製品コンセプトはよいのに、送信電力が小さく接続できるエリアが限られる。郵政省は、家庭用や事業者用ではなく、公衆用から先行させた。その結果、携帯電話と真正面からぶつかった。確かに音質はよいが、つながらなければまったく電話にならない。当時、携帯電話は5万円くらいの納入価格だったが、どこかのメーカーが香港会議で、これに対応する意味でPHSなら1.5万円くらいで納入できると公言した。確かにそのとおりにはなったが、逆に利ざやは大きく減った。台数はでない。単価は低い。利ざやは少ない。エンドユーザは切れる切れると評判が悪い。携帯電話が引きずられて値段が下がったため、PHSユーザだった高校生が携帯電話に乗り換えた。どんどん事業環境が悪くなって、500万加入者までいったPHSが僅か3年目で、すくなくともPHSという名前は市場から消える運命となった。家庭用や事業者用からスタートすれば、違った結果が得られたかもしれない。家庭用や事業者を優先すれば、オペレータ本体の収益がどんどん落ちる。オペレータが本体なら、郵政省は違った判断をしたかもしれない。某社があんな無謀な価格をいきなり発表しなければ違った結果になったかもしれない。PHS事業は多くの教訓を残した。

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