濵ちゃんの足跡

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14.3G機

話は大幅に遡る。まだ、GSMの開発を行っているときである。3G機。これも過去の因縁との戦いからはじまった。パケット通信と同じように、これも試作開発段階で対応できなかった。アナログ機とディジタル機の開発失敗の影響でPDCの再立ち上げが必須で、とても3G機の研究開発どころではなかった。お客様に対して試作開発を断わらざるを得なかった。そのときの詳細の経緯は、私は知らない。

そんな中で、3G機がお客様の研究部門から商用機開発部門に移った。そのとき、商用機部門の開発リーダーから声が掛かった。まだお若いが、アナログ機やディジタル機、いやそれよりも以前からご指導いただいているあの人である。「D社さん、PDCではたいへん苦労されたけど、今度、3G機が移管されます。どうされますか。今ならD社さんにも入ってもらうことができるかもしれません。」 当然、即、「是非やらせてください。」と返事した。このチャンスを逃す手はない。すぐに質問が飛んできた。「3G機では相関器をディジタルで作るべきかアナログ方式でいくべきか非常に迷っている。どうなんでしょうね。」なんとか言う会社がアナログ方式の相関器ならディジタル方式の数分の1でできるとし、実際にお客様との共同研究で成果を出し発表して風靡していた時期である。

実は、私はLSI設計部門にいたときに、衛星通信のCDMA通信用に4回もディジタル相関器を設計している。何回か、学会にも発表しているが、おそらく世界一の多ビット相関器を設計していると思う。格好の質問であった。1週間経って、ディジタル相関器の詳細検討結果を提示した。半導体プロセスの進化ごとにも推定して結果を示した。これが気に入って貰えた。私の結論はディジタル相関器で実現すべきというもの。まずアナログ方式では精度がとれない。せいぜい6ビットまでだ。素子のばらつき次第では4~5ビットになる。それにチップ面積が小さくなるというが、これも疑問。LSIのデザインルールが進むとアナログセルに比べてディジタルセルの方が加速度的に小さくなる。だから必ずディジタル方式が小さくなる時期が来る。今になって分かることであるが、現在は全メーカーがディジタル相関器で設計している。私の検討は正しかった。某社は各社に持ち込んだ。それもトップに持ち込んだ。3G機の必須技術ですと。買い込んだところも多い。D社も相当迷った人たちがいたが、私は頑として受け付けなかった。こんなに早く答えを持ってくるとは思っておられなかったらしい。私の検討結果をみて、これは!と思われたようだ。「D社さん、いきなり、3G機といっても先行メーカーはすでに7年も前からやっているのだから、すぐに指定メーカーにはなれません。ですが、私たちも研究部門から移管されて、これから勉強するんです。一緒にやりませんか。手始めに、原理的な確認のできる送信機と受信機を作ってくれませんか。」お客様の3G機の専門家は研究開発部門にいる。それに対して商用機開発部門はこれから。研究開発部門と一緒に先行しているP社やN社にあまりにも簡単な質問や試作依頼をしたら笑われる。商用機開発部門には一からスタートするメーカーが必要だった。

原理機と言えども3G機は3G機。手探りからのスタートだった。私はまず3名をアサインした。送信機1名。受信機1名。その簡易制御器1名。約半年経って送信機はなんとか様になってきた。納入してお客様の担当者と一緒に動かして、「おお、動く、動く」そんな稚拙なレベルであった。ところがどうしても受信機ができない。完成しないのである。お客様も次のステップに行きたかった。次のステップは実証実験トラックⅢ。20リットルの機能試験機、1リットルの移動試験機、100ccクラスの小型試験機を作れというものであった。当社は、まだ、受信機さえ作れていない。合格するはずがなかった。見事に落とされた。ところが、お客様はさすが。「D社さん、今の実力では国内2社、海外2社の合格4社に比較して差異が大きく、合格させることはできません。その代わり、エアモニタと基地局シミュレータを作ってくれませんか。試験装置ですが、これを作るとなると合格メーカーとまったく同じ情報を開示することになります。これを仕上げて貰えれば将来の端末参入の糧に必ずなります。完成していない受信機はこのエアモニタで完成させて下さい。」 涙のでるようなご指導であった。「分かりました。なんとしてもやらせて貰います。」

今度は、試験装置と言っても本格的なもの。3人ではとても対応できない。ちょうどそのころPHSが売れなくなった。事業にならない。本部長の指示もあって、このPHS事業から撤退して、その部隊を3G機のエアモニタ開発にアサインした。この時期、やっと技術者総数が20人。P社はYRPに専用ビルを建てて200名を集結し、さらに基地局もやるということで400名体制を敷くと発表。一方、D社の中では、3G機は次の事業として絶対にモノにしなければならないという意識は高まるものの、さすがに、他社比10分の1、20分の1という技術陣の落差をどうしようかと考えあぐねていた。

このエアモニタがまた難問。なにせ、小型の携帯電話しか作っていない。ラックものはとんとやっていない。入出力バッファーICの選択や裏面配線の線材の選択さえどうしていいか分からない始末である。それでも苦心惨憺、仕上げるには仕上げた。ところが、これが評判がよい。先行メーカーが作った基地局と端末のやりとりの不具合を見つけるのに物凄く役に立った。モニタできる性能、あるいはその表示方法、本当に気に入って貰えた。納入した2台がお客様の中で取り合いになった。お客様あの基地局メンバー、つまり、ずっと先行開発している研究開発部門でも取り合いになったらしい。

そのエアモニタを開発している半ば。突然、お客様の商用機開発部門の部長に呼び出された。あのディジタル機の音声コーデック事件で、私の提出文書に直接朱書きしてくれた人である。「NT社としては、3G機の実証実験メーカーとして、国内2社(P社とN社)海外2社を選んだが、3G機時代には、単に通信をするだけでなく、もっとアプリケーション側が拡がると考えるので、そちら側から開発に参加してくれませんか。どんなアプリケーションが考えられるか。そしてどんなスケジュールで開発できるか提示してくれませんか。数社にお願いしてみるつもりです。」 私は、小躍りして帰阪した。

早速検討した。当社は画像だ。衛星もある。数案を提示して、結局、ほかの製作所にも協力して貰って、画像機を採用いただいた。同時に、TO社(PC)、SH社(PDA)も合格した。追加合格とは言え、堂々と端末開発がスタートできる。お客様からは、「合格時期は遅れたが追加メーカーの位置づけではない。先行メーカーと同じ扱いにするので頑張ってほしい。納入時期や納入機については、先行メーカーとはあきらかにハンディがあるので、機能確認機、移動試験機、小型試験機の3つはできないだろうから、相談にのります。」と。結局、機能試験機と移動試験機の中間、約5リットルの端末だけを作って、実証実験に参加することにした。

先行4社に対して、ラッキーなことに、開発負荷は3分の1で済むことになった。実力相応といえばそれまでだが、これは当社の陣容で開発可能なぎりぎりのところであった。そうそう、後日談だが、結局、海外メーカー2社は実証実験機も何も納入しなかった。お客様の心配は当たった。

エアモニタが成功し、いよいよ実証実験機の開発という段階になって、それまでの要素技術開発から機種開発に移行するということで、本来の開発分担に再編するということで、開発責任を私からプロジェクト部門へ移した。ところが、お客様からクレーム。私に担当せよと。ちょうど、その頃、高機能機の開発が遅れはじめ、iモードの初号機がスタートし、その上に3G機。お客様向けとNCC向けのPDCとの並行開発ではどうしてもPDCに比重が大きくなり、他の優先順位がおちる。共通技術部門を引き渡して、PDC以外を全部まとめて担当することにし、複合部門を発足させた。それこそ、どの機種をとってもギブアップ寸前であった。幸いにして、高性能機もiモード初号機も出荷に漕ぎ着けた。3G機も本当に研究所や担当者のがんばりで、なんとか形になってきた。

今度は、いよいよ商用トラックⅢ。本気になった。商品企画部門が頑張った。前回の実証実験トラックでは不合格の理由のひとつに、「技術的な検討はしてあるものの、3G機時代の新しいサービス、新しい使われ方、ユーザの掘り起こしがまったく提案されていない。D社としても、その点が不透明で、単なる携帯電話機の開発ではなく、サービス系まで含めたトータルの提案をすべきだ。」との指摘があり、これを払拭すべく、マーケットを調査し、そのデータを可視的に示しつつ、製品コンセプトを固め、そのコンセプト実現のための携帯電話やオプション展開を詳細に提案した。研究所も頑張った。製作所も頑張った。みんなが頑張ったお陰で、今度は見事に合格。ほとんど、トップに近い合格であった。

それに並行して、いよいよ実証実験機の本格的な試験が始まった。なんとか動いているということで、毎年、欧州で開催される世界最大の情報通信展示会Cebitのブースに実動展示して頂いた。この時点で、安定してマルチレート(64kbpsX2系列)が動いていたものは当社製だけ。P社のものもN社のものも64kbpsだけ。SH社はまだまだの観。だいぶん先行メーカーとの距離が縮まった。私はこの段階で「7周遅れのスタートを半分縮めた。残りは3周半。」と表現した。

いよいよ3G機に専念できる段階になって、他部門の集結もあって、PDCをお客様向けとNCC向けの部隊に再編し、iモード2号機の開発はお客様向け機種の開発部門に移して、3G機専門の開発部門を発足させた。実証実験機のフィールドテストと商用機の開発が並行する。

まず、実証実験機。試験ごとに少しずつ改善しバージョンを上げていく。フィールドテストが続く。終盤になって、他社にはないモニター機能が功を奏した。フィールドテストに供した他社機は100ccクラスの小型機。接続できたか、できなかったかが分かるだけ。それに対してD社製は5リットルと大きいだけにいろいろ工夫してある。もともと参入が遅れたこともあって、3G機の電波がどんな振る舞いをするかまったく分かっていないため、この際、徹底的に調べてやろうと、リアルタイムに信号が出力できるようにしていた。また、GSMのフィールドテストで作った簡易モニタを更に発展させ、GPSによる位置情報の自動記録、収集データのグラフ化など、PCの画面をみれば一目瞭然のツールに仕上げた。これは納入品ではないが、お客様の試験担当者が気に入った。「D社さん、当社の実測車に乗って一緒に試験をして下さい。」 どうしても不可解な動作は、基地局がある条件のときにゴミを吐き出していることが分かった。それまで端末が悪いと指摘されていた問題を明確にすることができ、非常に喜ばれる結果となった。このフィールドテストでは、多くのデータが取得できた以上に、実測を客先と一緒に行ったことで、D社の工夫と、お客様の若手の技術者とD社の若手技術者が真に交流できたことが最高の成果であった。今後の人的関係に物凄い威力を発揮すると思う。

商用機の開発。提案書を出して、それぞれの要素技術開発が始まった。ほとんどのものが基本開発からのスタートである。無線回路も、MODEM回路も、制御回路も、画像処理回路も、超小型カメラも、いろんなインターフェイス回路も、すべての構造物も、全部はじめての設計が必要である。研究所も総動員して260人規模の技術者が集結した。半導体事業部門の技術者がビジネスベースでということでその数に入れないでの数値である。課の数だけで60課にわたる。これはなにもほめられた話ではない。こんな無茶苦茶な開発体制はD社だけであろう。開発すべき課題は明確である。ある時期だけでもこれを集中化し命令系統を一本化すればどんなに効率的か。

その3G端末の開発にピークで600名/年の技術者を投入した。累積すると数100億円の巨額な投資。あらゆる電子機器において、1機種の開発にこれだけのリソースを投じた例は過去にはないのではないか。その3G端末をとうとう商用機として出荷した。

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