濵ちゃんの足跡

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19.救世主カメラ付きケータイ

01/5~01/9まで、欧州事業の混乱解決のために仏工場の開発部門に駐在した。もう少し海外生活を経験しようと考えていたら、帰国せよと。01/10に副事業部長になった。

海外はガタガタ、国内の技術者は疲弊し切っている。内蔵アンテナ機は売れていない。NCCはもっとひどい。これを何とかしろとのご下命。

お客様がNCCに対抗して、とうとうカメラ付の携帯電話をやるという。この情報を得て、すぐにお客様に行く。「是非、やらせてください。」「もう、2社にお願いしている。画像サーバーの能力が最大200万台規模なので、3社目は難しいですよ。」そこを何とか頼み込んで、頼み込んで、頼み込んで、座布団(開発のOK)をもらう。

こうなったら、これに賭けるしかない。NCC向けの機種開発チームに手をつけた。4人だけ販売支援に回して、残り全員をお客様向けの技術者と一緒にして、この機種の開発に投入した。もともとNCC系では、カメラ応用のいろんな開発が進んでおり、この経験が活きた。

調べてみると、他社は10万画素のカメラ。よし、当社はその上だ。30万画素を狙おう。携帯にはフラッシュがない。感度からしてCMOSはだめ。絶対にCCDだ。

「これからは携帯電話に本格的なカメラが搭載されます。携帯電話は、極端に言えば0円販売になりますので、ローエンドのカメラは全部携帯電話になることになります。徹底的にカメラ付携帯電話をばらまきます。これを全部私にやらせてください。その代わり、貴社は従来からの強みであるプリントをさらに強化して儲けてください。」これが私の口説き文句であった。幸い、FF社からCCDを入手できた。カメラモジュールの設計と実装は研究所と他の製作所が引き受けた。

開発も集中すると強い。当初01/11から開発をスタートさせたときは、どんなに頑張っても商品の市場投入は02/8しか見えなかったが、これが2ヶ月前倒しできた。70万台売れたら御の字と思っていたが、結局250万台売れた。

国内外ともガタガタで、もう携帯事業はだめか。そんな空気が蔓延していたが、ヒット商品がでると現金なもの。何か売れるものを作ったらしい。社内の見方も変わった。お客様もできないと言っていた画像サーバーを追加し始めた。結局、限界はどこにもなかった。この機種が、お客様のカメラ付ケータイの地歩を作り、以降、全機種にカメラが搭載されるようになった。

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