濵ちゃんの足跡

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20.欧州事業の縮小

02/4製作所なった。米国事業を整理したK氏が所長に、私が副所長に就いた。

いったん、負のスパイラルに入ると、浮上するためのエネルギーは、正のスパイラルの何10倍も必要になる。それが用意できないと、どんどん負のスパイラルに落ちていく。

GSMバブルで残った480万台の部品を捨てる訳にはいかない。約1000億円相当の部品である。この部品をつかって新製品を開発するしかない。ところが、電子業界では、新しい部品は性能が良くて価格が安い。この480万台分の部品はその逆。性能が悪くて価格が高い。価格は、この際、我慢するとして残った性能の低い部品を使ってローエンドGSM機種を作った。

これが、当初の想定以上に、まったく売れない。オペレータは足元をみている。どんどん買い叩かれる。それでも部品代だけでも残ればと値下げする。いったん、値下げモードに入った商品はさらに買い叩かれる。赤字が雪達磨式に膨らんでいく。たった1回のギャンブルが取り返しのつかないことになった。

こうなると、もう事業の縮小しかない。普通のGSM/GPRS仕様の携帯電話は止めにして、日本のオペレータが海外展開している国際iモードに絞られた。ここに至ると、大きな工場は必要ない。製造は中国工場に集中して、3倍に拡張した仏工場は、もとの6000m2の工場も含めて、全部売却した。とうとう3棟目の工場は外側だけで、中身はほとんど使わないままであった。

たらの話になるが、このバブルを乗り切って1200万台を出荷していたら、今やD社の携帯電話は韓国某メーカ以上になっていたかもしれない。

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