濵ちゃんの足跡

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70.なぜ教養を高める必要があるのか

一般に「一芸に秀でる」と言って、専門に強ければ、それで通用する、それで素晴らしいと思うのですが、一方で教養がなければ人間として認められない。なぜでしょうか? この忙しい中で、本を読み、芸術に触れ、歴史を学んで、いったい何になるのか、考えたことがありますか? これは、単に暇だからという訳ではありません。この疑問に対して真正面からの答えが、文春文庫、藤原正彦「決定版、この国のけじめ」の中にありました。紹介したいと思います。

藤原正彦は、全部で5つの観点から教養を学ぶことが必要だと言っています。

1.「大局観」をもつために必要だと言っています。逆にいうと教養のない人は、個々のアイテム毎に局所的・刹那的に考えると言っていることになります。通常の判断は、論理的に考えたり経験に即して考えたりするだけで事足りる。しかし、大局観とか長期的視野といったものはそうはいかない。過去を知り、他国の事情を知り、他国の人たちの特質を知り、多岐に亙る文化や伝統、地理や気候、長所や短所なども知る必要がある。読書や実体験などで得た教養がなければ、その判断はできないと言っています。

2.「人間的魅力」を高めるために必要だと言っています。これは雰囲気的に分かるような気がしますが、本の中では外交官を例にして説明しています。「外交官とは、外交、政治、経済の知識はもちろんだが、哲学、歴史、文学、芸術により人間性を高め、その人間的魅力で相手と渡り合うもの」だそうです。外交官というところを営業マンと置き換えても、後段は同様のことが言えると思います。

3,「国柄」を決めると言っています。全国民の教養の高さが国の品格を決めると言っています。江戸時代の日本人の識字率は50%で世界一だったそうです。それを見て、幕末に来日したある外国人は「日本は世界一教育の進んだ国民である。聡明で、模倣力があり、忍耐強く、仕事好きである。この国に強力な指導者が現れるなら、多年を要せずして、日本は全東洋に君臨するであろう」と言ったそうです。

4.「教養は愉しみでもある」と言っています。瀬戸内寂聴さんは「人生の愉しみは、食べること、セックスすること、そして読書することに尽きるのではないか」と言われたことがあるそうです。読書すること、学ぶこと自体が愉しい。それは、読書によって時空を超えて知識を得る、感動を得る愉しみではないかと言っています。

5.「誇り」を持つことができると言っています。例えば文化遺産、これを産むには広範は教養が国民全体に行き渡っていなければできないと。国民の間に学問、文学、芸術などへの理解、少なくとも憧憬なくして文化遺産の創造や継承は難しい。道徳もそうで、国民ひとり一人の誇りがなければ道徳は保てない。誇りのない人間には、倫理も道徳も礼節もない。逆に誇りを持つためには教養が必要だと言っています。

いろんな疑問に対して、スパッと答えを出してくれる本にはなかなか出会うことがないのですが、この本は、毎ページどきっとする記述があって、非常に参考になります。一度、読んで見られたら如何かと思います。

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