濵ちゃんの足跡

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159.日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条-(山本七平著)(2)

「芸」の絶対化と量

ここでいう芸とはその道を極めることをいう。例えば剣術を見極めた人を武芸者というように。確かに剣を持って戦う環境下では優位であるが、剣と鉄砲ではいくら剣を極めた人であっても鉄砲には勝てない。しかいながら往々にしてこの点を間違えて極めようとする。精神論だけでは物量には勝てない。部分最適に走ることもこの形。

反省

西南戦争を総括し、きちんと反省していれば、その後の戦争は避けられたという見方がある。太平洋戦争も総括されていない。過去の事実をそのまま現代の人間に見せることで総括されるが、それがなされていない。なかったことにして次に進んでしまう傾向がある。

生物としての人間

人という生物がいる。それは絶対的に強い生物ではない。ちょっとした変化で狂い、死に、共食いさえもすることがある。人間のこの弱さを常に自覚し、そのような環境に落とさないことで健全な人間社会が成り立つ。日本軍はそれを無視した。

思想的不徹底

戦時中に威張っていた人が戦後にはまったく萎れてしまい、そうでなかった人が元気になった。社会的経験者、時代にあった職業、腕をもった人が、本当に明朗になり自信に満ちた生活に戻った。それはその場その場の情況で支配され、威張ってみたり、しおれてみたり、一つの思想に基づく自信がないからである。

不合理性と合理性

米国は徹底した個人主義なので、米国が戦争に負けたら個人の生活が不幸になるという一点において米国軍は鉄の如き団結を持っていた。日本は皇室中心主義であったので、個人の生活に対する信念がなく、案外思想的に弱いところがあった。逆に、日本人で名前の書けない兵士はいなかったが、米国の兵士には名前の書けない人がたくさんいた。教育があっても教養まで昇華されていない。

自由とは何を意味するのか

真の自由には無償と無責任が同居する。しかし社会的にはそうはいかない。個人の頭の中で考える限りにおいて言えることである。常にこの社会的制約という力が働いており、この呪縛から逃れることはできない。

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