濵ちゃんの足跡

前のページ 次のページ 目次へ戻る

閑話休題(66)現代語訳「学問のすすめ」福沢諭吉 /斉藤 孝(訳)=ちくま新書

第8編 男女間の不合理、親子間の不条理(明治7年4月出版)

人間の身体は、他人と離れて一個独立しており、自分自身でその身体を取り扱い、自分自身でその心を用い、自分で自分を支配して、するべき仕事をするようにできている。その人間には、知恵があり、それぞれに欲がある。また、良心があり、意志がある。これは人間に欠かせない性質であって、この性質を自由自在に操ることで人間の独立が達成できる。ただ、これらの性質を使うにあたっては、天が定めた法にしたがって、分限を超えないようにすることが肝心だ。人間であることの分限を間違えずに世間を渡れば、他人にとがめられることはなく、天に罰せられることもない。これが人間の権理である。

そもそも、この世に生まれた者は、男であっても人間、女であっても人間である。この世に果たすべき役割がある、ということでいえば、世の中に一日たりとも男が必要でない日はないし、女が必要でない日はない。その働きは同じだけれども、ただ違うところは、男は力がつよく、女は弱い、それだけである。亭主が酒を呑み、女遊びをし、妻を罵り、子供を叱って、金を使って浮気しまくっても、女性はこれに従い、この浮気男を天のように敬い尊んで、にこやかな表情で、気に障らない言葉でこれに意見せよとは、あまりにも不合理で、不公平である。

親孝行は、人たるもの者の当然である。老人ということであるならば他人であってもこれを丁重に扱うもの。まして自分の両親に対して情を尽くさないことがあるだろうか。利益のためでも、名誉のためでもない。孝行は、ただ自分の親だと思い、自然の誠実さですべきものである。しかしながら、孝行話の中には、寒い中裸で氷を溶かして母が欲しがる鯉をとるとか、真夏の夜に自分の体に酒を降り注いで親に近づく蚊を集めるとか、理屈にならない意志で嫁を悩ますとか、子供や嫁に対して不条理なものが多い。

前のページ 次のページ 目次へ戻る