濵ちゃんの足跡

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閑話休題(71)現代語訳「学問のすすめ」福沢諭吉 /斉藤 孝(訳)=ちくま新書

第13編 怨望は最大の悪徳(明治7年12月出版)

およそ人間にはいろいろ欠点があるものだが、人間社会において最大の害があるのが「怨望(他人の幸福をねたんだり、うらむこと)」である。

怨望は、諸悪の根源のようなもので、どんな人間の悪事もここから生まれてくる。猜疑、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、すべて怨望から生まれてくる。それが内向的に表れると、ひそひそ話、密談、内談、謀略となり、外に向いて表れると、徒党、暗殺、一揆、内乱となって、少しもプラスとなることがない。災いが全国に広がるにいたっては、自分も他人もひどい目にあう。怨望とは、公共の利益を犠牲にして私怨をはらすものなのだ。

その怨望が生まれた原因はと考えてみると、それはただ「窮」の一言に尽きる。この場合の「窮」とは、困窮とか貧窮とかいうときの「窮」ではない。言論の自由をふさぎ、行動の自由を妨げるというように、人間の自然な働きを行きづまらせる「窮」なのだ。もし、困窮とか貧窮が原因ならば、世の中の貧乏人はみな不平を訴えて、金持ちはうらみの的となって、人間社会は一日も持たないはずだけれども、事実はそうなっていない。いかに貧乏で社会的地位が低くても、その原因を知って、それが自分の責任であることを理解すれば、決してみだりに他人をうらんだりはしないものである。

人間最大の災いは「怨望」にあって、その原因は「窮」なのだから、言論の自由は邪魔してはいけないし、行動の自由は妨げてはいけない。これは、ただ政府だけに関係した話ではない。人民の間でも行われていて、毒を流すことが最も大きいものであるから、政治だけ改革したところで、その原因を取り除くことにはならない。人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくい。自由に言わせ、自由に行動させて、財産も、社会的地位も、それぞれが自分で獲得できるようにして、まわりがそれを妨害してはならないのだ。

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