濵ちゃんの足跡

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行基とケータイ

隣町を行基町という。伊丹市にも行基さんにまつわるものや話は多い。7-8C頃の伊丹市は、武庫川と猪名川にはさまれたなだらかな丘陵地でありながら、田畑や荒地の原野だった。2つの大きな川にはさまれていながらも水の便が悪い。行基さんは昆陽池(こやいけ)、上池、下池など5つの灌漑用のため池を作って、この地を開墾し、民衆に分け与えた。

行基(668-749)は、奈良時代の名僧で、後に初の大僧正となり、実質的な東大寺の大仏建立の責任者と言われている。近畿一円から全国に行脚し、開墾や福祉に力を注いだ。伊丹でも当時の福祉施設であった昆陽施院が昆陽寺となって残っている。

ところで、ケータイは人間が身に着けた3つめの器械だと言われている。めがね、腕時計に次いでである。ケータイに時計機能があっても腕時計の利便性には適わない。私は毎日この3つの器械なしでは暮らせない。ケータイについては15年間、開発と事業推進に携わってきた。昨今の病的にスマホが離せない人たちのニュースを聞くと心が痛むが、知的能力を持った器械をウェアブルに進化させた実績は、少なくとも人間社会に役立ったと思いたい。

行基は民衆のために生きた。園田方面に向かう御願塚古墳の前に立像がある。現代人の社会貢献をしっかり見ている。消費や浪費ばかりの社会人にはなるまいと心を引き締めている。濱村

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