濵ちゃんの足跡

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泥を食っても頑張る

祖父の話。明治19年生。22貫の偉丈夫であった。力自慢しかない頃。14歳で米1俵(60kg)を担いだ。最高は前と後ろで2俵ぶら下げて肩に2俵載せて1戸升のお米を手に持ったと。都合17戸(255kg)。4歩しか歩けなかったので負けたと悔しがっていた。

お嫁さんを貰いに行ったとき、羽織を着たまま2俵をひもを切ることなく担いだと自慢していた。40歳のころの写真がある。山陰本線の施設工事と書いてある。高校生のとき喜寿のお祝いで相撲をして投げ飛ばされた。

祖父は自分の父親とうまく行かなかった。裸一貫で家を出るにあたって、身元引受人に対して「泥を食っても頑張る」と言ったらしい。

近年まで牛馬が使ええるところ以外は基本的に人手である。ピラミッドも大仏も16丈の出雲大社も人手と工夫で作った。昔の人は体が資本だった。

設備に依存して工夫を忘れてはいけない。濱村

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