濵ちゃんの足跡

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思込み

テレコム91@ジュネーブで大好評であったという。仕様が決まらない段階でモデム部とアプリ部にCPU(S/W)を抱き柔軟性を持たせて実現した。ところが93年商用機が完成しない。原因は待受け電流が規格に入らない。他社も入るはずがないとの思い込みがあった。合格した会社は1CPUで実現していた。お客様が強気のときは既に合格した会社がある

まだL設Kの時代。会議机に模造紙を貼り付けた。手書きのブロック図を書いてにらめっこ。もちろん1CPU。待受けは32kHzのRTCで行い、イベントが発生したら正規のクロックが走り出す。消費電流はfCV2だからfを思い切り下げた。乗換えは難題。

11歳から論理回路を作っている男がいた。修士卒が子供扱い。言葉で説明するよりタイミングチャートがはやかった。機械工学出身の電気回路設計者がいた。休日に測定器を持ち出してデータをとる。仕事というより趣味に近い感じだった。「入場料を払え」と言った。

計画台数の10倍売れた。ロットの先食いや部材支給をお願いする。嬉しい悲鳴。ケータイ事業に参画するきっかけになった。濱村

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