濵ちゃんの足跡

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右腕と左遷

信長が朝廷からの申し出「左大臣」をけった。左大臣>右大臣。官位は左が上。だから腹心の部下を「右腕」と言った。自分より偉い左腕はない。戦前・戦中までは内裏様を向かって右側に男雛をおいた。戦後、昭和天皇が諸外国の要人と会うときに欧米と違うことに気づかれて立ち位置を変えられた。だから現在は男雛を向かって左側におく。新郎・新婦の並びもそう。

ところで「左遷」。低い地位・官職におとすことをいう。左側を卑しいとする時代があった。中国の戦国・秦・漢の時代。唐の時代以降は左側が尊いとされた。時代によって変遷している。

正n位・従n位は資格。職位はざくっと、関白>太政大臣>左大臣>右大臣・征夷代将軍>内大臣。関白は天皇の摂政。太政大臣は名誉職で実務がなかった。関白は公家の最高職。征夷大将軍は武家の最高職。同時に並んだ歴史はない。官位より実力が優先した。

歴史モノに必須。現在も勲章・褒章とならぶ栄典制度のひとつとして残っている。濱村

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