濵ちゃんの足跡

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4.2つめのつまずき

そんな成功物語の中で、次の失敗が着々と進行していた。ディジタル1号機である。私は、まだ、この段階でも、LSIの設計部隊を担当していて、携帯電話事業には参画していない。このディジタル1号機の失敗の最大のポイントは「思いこみ・油断」であったと私は分析している。携帯電話のディジタル通信化には非常に多くの半導体回路を必要とした。電気的目標は、NT社から示される。おそらくアナログ携帯電話より数10倍以上のトランジスタを必要としたと思う。また、D社では衛星通信でしか経験のないTDMAという新しい技術である。これも衛星通信より数倍難しい。衛星通信は基本的に衛星とアンテナ基地局の1対1通信で、周辺の山や建物からの反射波を考慮しない。それに対して、携帯電話は高速移動する環境下で、電波のフェージングはバンバン起こる。さらには約5~10km毎に林立している基地局間のハンドオーバーをしなければならないという新しい技術命題もある。

このとき、お客様は待ち受け電流を10mA以下と決めていた。尋常な技術者が考えれば実現は不可能に思えた。それにも増して、電気的仕様は決まっても肝心な音声コーデックや通信手順が決まらない。仕方がないから2CPU方式にしてアーキテクチャに柔軟性を持たせた。仕様がだんだん固まり、いよいよ納入という段階に達した。D社の待ち受け電流は21mA。10mA以下なんて、だれにもできるはずがない。

ところが、ふたを開けてみるとF社は16mA、N社は12mA、最後に出てきたP社は、なんと9.6mAであった。できるはずがないという「思いこみ」これが命取りであった。結局、P社、N社、F社は納入できたが、D社は受け取って貰えず、開発を全面的にやり直しをせざるを得なかった。

早速、待ち受け電流の最も少ないP社の携帯電話を買って来て、徹底的に分析した。CPUは1個しかない。TDMAの処理はLSIの中で行われていた。アーキテクチャの変更を余儀なくされた。ベースバンドLSI(BBE)もS/Wも全部作り直してできあがった携帯電話。待ち受け電流は8mAまで削減できていた。これで販売できる。8千台を仕込んだが、結局、7万台売れた。

ところが、話はここで終わらない。音声コーデックの問題が持ち上がった。当時の試作開発は、原則としてH/WもS/Wもすべて提案どおりの自製化が必要であった。つまり、音声コーデックに最も適したDSPも自製しなければならなかった。もちろん、D社も開発した。当時の研究所の精鋭が頑張った。お客様から基本仕様を貰って開発した。しかし、これがなかなかうまくいかない。電流も多くて使えない。結局のところA社のDSPを使うことにした。音声コーデックのF/Wも外部から購入して、これにお客様の要求仕様をかぶせた。これが逆鱗に触れた。DSPも自製できないメーカーはトラックメーカーではないと。最悪は、音声コーデックの購入時にお客様のノウハウが外部に漏れたのではないかと。もう蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

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