濵ちゃんの足跡

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そして父になる

私は、昭和50年と58年に父親になった。

長男は、先輩の引越しを手伝い、お祝いの一杯をやって、帰った夜だった。お腹が痛いというので、別の先輩に病院へ連れて行ってもらった。初産の陣痛は平均して24時間だという。こんなに大変なことかと思った。

次男の頃は仕事が忙しかった。陣痛があっても、だいたいの様子がわかっているので、慌てない。自分で歩いて病院へ行って、少し経って、産まれたと、電話があった。仕事人間になっていた。

映画[そして父になる]の父親と重なる。幸い、私は 2人とも血はつながっている。もし、何か間違いがあって、他人の子供と入れ違っていたら、どうしたか。自分に置き換えて観ている。理屈どおりにはいかない。昔から養子縁組という制度があり、血がつながっていなくても、親子以上の親子になっていることを見ている。

映画では、血縁と一緒に愛情を注いで生きて来た時間の葛藤が続く。結論は映画を観て頂くとして、何が大事か考えさせる。米国か欧州か忘れたが、同じようなケースで、解決策として、両家が隣り合わせになる場所に引っ越しして、親も子供も常に両方がみえるようにした例があった。

親子、家族、仕事のあり方を考えさせる映画である。 濱村

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