濵ちゃんの足跡

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27.F社との協業

F社との協業のトップ交渉でMOUがまとまった。F社からの技術導入し、HSDPA-LSIと関連S/Wの開発支援を行い、F社の開発カルチャが理解できた段階で、本格的な共同開発を行う。実現見通しの高い段階的な進め方が決まった。

具体的な交渉がはじまった。両者約10人強ずつの大交渉団。F社の責任者はO氏。最初のNDAの交渉で、いきなり怒号が飛んだ。D社の責任者のNDAに対する考え方が甘いという。冷静沈着で非常に論理的なO氏は、ときに直情的にカッとなる性格を併せもつ。交渉には慎重な発言が求められる。

04/4、ここで私は再び副所長として、工場にもどることになった。交渉の様子をみていて、この団体交渉的なやり方は無理と読んだ。F社の責任者のO氏と営業B氏の2名と、D社のM氏と私のの2名で「4人会議」を編成し、ややこしいい話は水面下で調整するやり方にした。本部長もこのやり方を認知し、以降の契約交渉はすべてこれで進めた。途中で、F社の責任者がT氏に交代されたが、うまくなじんでもらうことによって、この4人会議の形式を継続できた。

水面下で調整した内容を文書化する仕事は、各自がよく働いた。社内への説明、コーポレートレベルの承諾、契約文書の作成、非常に精力的に仕上げた。

そして、具体的な技術導入。技術サポートなしで、あるがままの技術情報。これをD社が解読して当社仕様の携帯電話に仕上げていく。分からないことだらけ。0氏から質問が多すぎるとクレームがつく。どうやって理解するか。悩みが続く。T氏になって、ぐっと緩和された。この協業を失敗すると、F社も立ち行かなくなる。F社の理解が進んだ。開発費用が掛かりすぎて、いずれにしてもF社も1社で生き残ることはできないのだ。

当初はF社の出荷から3ヶ月遅れでD社機を出荷する計画。F社の出荷が2ヶ月遅れたが、D社は予定通り、その1ヵ月後に出荷できた。F社が献身的と言えるほどのサポートをした。電気回路は、カメラなど一部を変更しただけで他はそのまま、S/Wは100KLにも満たない変更に止め、構造だけはスライドタイプというまったくF社と違うコンセプトのものに仕上げた。1200KLのS/Wに潰れた3G機2号機と比較すると、どんなに少ない開発量か。技術導入に大きなお金を使ったが、ともかく商品は予定通り出荷できた。

これに自信を得て、05年度は6機種の3G機の開発を計画しており、さらに密度の深い共同開発体制を模索している。

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