濵ちゃんの足跡

前のページ 次のページ 目次へ戻る

出雲工人

12世紀までは48mの高さがあったという。雲太、和二、京三という。出雲大社(雲太=16丈)は東大寺(和ニ=15丈)より高かった。直径1.5mの大木3本を束ねた宇豆柱の絵図面が伝わる。実物の根元が出土した。解体や焼失の記録もある。学術モデルがある。大林組が昔の本殿だとして建て方を研究している。

83年に近隣の荒神谷遺跡から358本の銅剣が発見された。96年には加茂岩倉遺跡から39口の銅鐸が発掘された。それまでの出土数の総数並みである。

にわかに神話が現実になった。いずれも出雲大社横の古代博物館に実物が展示されている。壮観。出雲に強力な政権があったことを疑う余地がない。

古くから斐伊川の砂鉄を材料とするたたら製鉄があった。今でも安来ハガネとして残っている。モノづくりの技術があった。出雲工人がいた。奈良の大仏も山のように埋めながら鋳型工法で作ったという。出雲-奈良間約500kmの往来があったことになる。濱村

前のページ 次のページ 目次へ戻る